Q:なんで「ディレクション」文脈の活動を続けるの?

こんにちは。助田です。

前回のポストで「適宜1,000文字くらいでライトに回答をするというコンテンツ」と称して、いろんな人からいろんな場所でいろんな質問があったものを抜粋して回答していますが、前回タイトルを入れて1,500文字くらいになってしまい、なかなかむつかしい制限だなと思いつつ、気楽にやっていきたいと思います。

本日のご質問はこちら。

「ディレクション」という言葉をキーワードとしてよく使い出したのが、確か2013年くらいからでおそらくディレ協の活動を始めるくらいからかと記憶しています。一般社団法人の名前も「ディレクション」を入れることから決まりました。

知っている人は知っている通り、僕は独立を夢見て2005年にインターネット業界に入り、2006年に「ディレクター」という肩書をひっさげたシステム開発系の案件でトラウマ級のフルボッコをデスマーチとして喰らいます。

その後、再起不能になりかけながら2013年まで「ディレクター」としてイヤイヤと生き延びるも、「ディレクター」としてのキャリアアップをすっぱり諦め、僕みたいにトラウマになる人が少しでも減るようにデスマーチ撲滅&「ディレクション」を体系化する活動と、「ディレクター」のキャリアの可能性を広げる活動に切り替えました。

そのため、Web・IT系プロジェクトの「ディレクション」を自分がやることに鬼アレルギーだった時期もありましたが、「ディレクター」として燃え尽きた燃えカスに残った「ディレクション」という能力は素晴らしすぎて、コミュニケーションもそうなんですが、個人的には課題抽出と課題解決の精度が高まり、それこそ事業推進だったり、HR系のプロジェクトだったり、コワーキングスペースの運用だったり、コミュニティ形成だったり、飲み会🍺の幹事だったり、「複数人で物事を進めるにあたっての基礎(ベーススキル)」としてしっかり身につけられたという実感があります。

僕自身は40歳近くまで「専門性がない」ことに頭を悩ませてきましたが、ディレクションというベーススキルに加えて人材紹介事業&事業推進で企業の「人材不足課題」を毎週のように耳にし、コワーキングの立ち上げ&運用にて週で50人のディレクターを中心とする人たちとはじめまして!と会話をするという異常なる8年間を経て、ようやく専門性と呼んでもよさそうな経験値を得られた気がしています。

経験として幼少だった「ディレクター」の原体験が基にはなっていますが、「ディレクション」は「ディレクター」のためだけではなく、大げさに言うと全人類が意識して習得すべき力だと言い続けたいなと。

ので、個人的にはその価値の高すぎるベーススキルをなかば強引かつデンジャラスに経験させてもらった業界への感謝として、僕みたいに道半ばで諦めず「ディレクター」を突き進みたい人や、「ディレクション」というベーススキルを活用して別のキャリアを模索する人の背中をちょっとでも押しつつ、「ディレクション」が持つ課題抽出と課題解決の力を、まずは企業の人材系課題からですが、解決までの糸口としてちょっとでも役立てられるのでは?という仮説の検証をこれからも行っていくことで、もっと楽しい乾杯🍻ができるのでは?

そう願う今日このごろです。

待ってろ今から本気出す。